京都市下京区に現存する「角家」は、1641年に建てられた伝統的な木造建築で、国の重要文化財に指定されています。写真手前の土間は台所、奥手がたたみ敷きの座敷になっており、家の中心に1尺×1尺(30センチ角)の大黒柱が鎮座しています。
台所のクドでは、毎日火が炊かれ、食事が作られていました。朝早くから朝食の準備が始まり、夕方の食事時まで、クドから屋根に向かって煙が立ち登っていました。大黒柱や梁は、永い年月に渡り煙で燻され、黒く光っています。
室内で火を炊くと、煙が立ち込めます。この煙を効率良く外に出すためには、屋根まで続く高い天井が必要となり、大空間が構成されます。屋根からの荷重を大梁が受け、その大梁から伝わる全ての荷重を、大黒柱が受け止めています。家の中心の柱には、東西南北4方向からの荷重が集中しますので、大きな柱を設け、全体の荷重を支えることは、構造的に理にかなっているのです。
昔から地震が多く発生する日本の地では、地震による度重なる被害を経験してきました。日本人は、地震によって建物が被害に合わないようにするための知恵を身につけ、伝統的木造建築を完成させました。大黒柱がある家は、幾多の災害にも耐え、現在に至るまでの長い年月に渡り、建物を存続させることに成功しています。大黒柱がある家に暮らす人々にとって、この家はどんな大きな地震が来ても壊れることはない、という安心感を感じることができるのです。そして、この大黒柱は、家の主の象徴であり、太古の昔から木造建築に暮らす我々日本人にとって、心の拠り所になっているのです。
量産化の進む日本の住宅では、大黒柱のある家をほとんど見かけなくなってしまいました。柱の大きさを統一することは、経済的に効率が良いので歓迎されるのです。そのような社会の流れに惑わされずに、私たちの家造りでは、たびたび大黒柱を設置してきました。大黒柱は原木を調達することから始め、手作業で丁寧に仕上げます。手間と時間と根気が必要な、地道な作業です。
大黒柱のある家を建てることができるのは、私達の工務店に、日本の伝統建築を受け継ぎ、今もその伝統的な木造建築を手仕事でこなす棟梁や大工職人が、在籍しているからに他なりません。彼らは、私たちの大きな誇りであり、かけがえのない宝であります。棟梁から大工職人に、さらに若い職人へと技術を伝承し続け、私たちはこれからも、できる限り多くの家で大黒柱を設置していきたいと考えています。
大黒柱を設けることで、家に暮らす家族、その家族を訪れる親戚、そして親しい友人にとって、最大級の安心を届けることができると考えています。同時に、日本人の知恵を後世に伝えるという大切な役割も担っているのです。
山から切り出した杉の原木です。木材市場で月に1~2回開催される競りに参加して、原木を仕入れます。
山から切り出した直後の杉は、多くの水分を含んでいます。山林が大量の水を蓄えていることの証でもあります。水分を大量に含み見た目以上に重い原木は、山から運び出され、低温の機械乾燥で水分を抜きます。