人の気分の善し悪しを表現するときに「機嫌をうかがう」「ご機嫌ななめ」などとよく言います。
実はこの「機嫌」という言葉はもともと仏教からきています。
もともとは譏(そし)り・嫌(きら)うという意味で「譏嫌(きげん)」と書き、他人の「譏嫌」を受けないようにする戒律からきています。
大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に「息世譏嫌戒(世の譏嫌を息(や)める戒)」という戒律があり、悪事をはたらくことはもちろんダメですが、
世間の人たちから譏り嫌われないように、「人が不愉快と思うような言動は慎みなさい」と定められています。
さらに言えば「酒を飲まないこと」や、ニラ・ニンニクなどの「五辛を食べないこと」も「譏嫌」の戒めに入ります。
それ自体は悪い行為ではないのですが、結果として酔ってだらしなくなったり、あるいは臭気で修業の妨げとなったりするような間接的な悪行も未然に防いだのです。
やがて、「機」が「機転」や「機知」などの語に象徴されるように、細かい心の動きを表す意味を持つことから「機嫌」という表現が作られ、
そこから「上機嫌」つまり「愉快なこと・気分・気持ち」を表す言葉が派生してきたようです。
「譏嫌を護(と)る」という語句も仏典にあるそうです。
他人のそしり嫌うことをしないという意味で、現在用いられている「機嫌をとる」と同じだということです。
私たちの日常は、自分の思いどおりにならないことが多く、そのイライラを他者にぶつけたくなって、つい悪口や非難をしたくなります。
でも私たちは単独で存在しているわけではないことを思い起こし、改めて周りに支えられて生きていることに感謝したいものです。
そのためにも今できる範囲で、自分をいたわり、「自分の機嫌は自分でとる」生活を心がけましょう。
「ご機嫌は最高のアクセサリー」ともいわれます。
上機嫌でいることが素敵なコミュニケーションの潤滑油になれれば良いですね。
参考 『駒沢女子大学』HP、『天台宗』HP、『他力本願.net』HP、『お寺のじかん』HPほか