暮らしの中の仏教まめ知識  第30回 『うろうろ』

暮らしの中の仏教まめ知識  第30回 『うろうろ』

暮らしの中の仏教まめ知識 第30回 『うろうろ』

2023年10月22日
テーマ
暮らしの中の仏教まめ知識

広辞苑では「うろうろ」を
「方向が定まらず、または、どうしたらよいかわからず、落ち着きなく動きまわるさま。うろつくさま。まごつくさま。
狂言、長光(ながみつ)『此の太刀に目をかけて―する』。『出口をさがして―する』」とあります。
つまり、道に迷ったり、どうして良いのか判断できずに困って彷徨(さまよ)っている様子を、一般的に「うろうろする」と表現します。
これも仏教から出た言葉であるとされています。

「うろ」とは漢字で「有漏」と書きます。これは様々な心の汚れを表す総称です。
煩悩(ぼんのう)と同じような意味と思って下さい。

サンスクリット語では有漏を[sāsrava(サースラヴァ)]と書き「流れ出る」ことを意味します。

すなわち、私たちが世界と接する「六根」から漏れ出るものだと考えられています。
ちなみに、「六根」とは眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)の五感と意(意識)の六つを指します。
「六根」により迷いが生み出されるということで、「漏」は広い意味での「煩悩」という意味を含んでいます。

私たちの六根から煩悩が流れ出て、心が惑う状態を有漏と言いますが、それが重なり「うろうろ」と表現されるようになりました。

一方、流れ出る煩悩や汚れが無い状態を「無漏(むろ)」といいます。

つまり「有漏」は煩悩がある状態、「無漏」は煩悩に惑わされない状態です。

方向性が定まらずにあちこち動き回っている姿が、煩悩に翻弄される様子と重なり、
煩悩を象徴するような行為ということで「うろうろ」と表現されるようになったのでしょう。

 

参考 『広辞苑』HP、『日蓮宗』HP、『ほとけ便り』HPほか

本照寺住職 木村 映之 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461
○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院() 本照寺(ほんしょうじ)
※どなたでも参加できる行事… ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会、木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)
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