暮らしの中の仏教まめ知識  第28回 『意地(いじ)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第28回 『意地(いじ)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第28回 『意地(いじ)』

2023年06月04日
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暮らしの中の仏教まめ知識



「意地っ張り」「意地が悪い」など、「意地」という言葉は、あまり良くない意味に使われています。
たまに「横綱の意地にかけて」など、根性のある場面で使いますが、たいていは自分よがりな人の様子を表現するとき、活躍する言葉です。
また、「意地汚い」とかいうように、欲張りな状態にも使われます。
間違っても「あの人は意地がいい」とは言いません。

でも「意地」という言葉をよく見ると、「意識」の「大地」。
もともと仏教の言葉です。

仏教では、眼・耳・鼻・舌・皮膚の感覚をあわせて五官と言い、その五官による認識のことをそれぞれ眼識・耳識・鼻識・舌識・身識といいます。
そしてこれらの認識をまとめるものが「意地」だとされています。
この「意地」は、心のことでもあります。
これら五つの認識を成り立たせているものでもあり、同時にこれら五つの認識が感じるもの(情報)を受けとめる役割をするものでもあります。

そのため、意地(心)は、これら五つの認識そのものに左右されるとともに、その五つの認識が感じたものをどう受けとめるかによっても、変わってきます。

心はどうしようもなく身勝手なもので、思うようにならなければ、へそを曲げます。
途中までやってみて「あ、しまった」と思って引き返そうとしたときに、先に人に注意されると意固地になります。

自分の心でも思い通りにならないのですから、人の心を思い通りに動かせるわけがありません。
それなのに「なぜ分かってくれないのだろう」「なぜ手伝ってくれないのだろう」と思うわけですね。

他人に自分の心を押しつけるから、紛争やいさかいが起きてしまうのです。

人の心はままならないもの。
衝突し合って、けんかや争い事がおきたら、それを振りかえり、もう一度自分を見つめ直して、コントロールしていけばいいのです。
自分のことだけでなく、五つの認識を働かせて、六つめの「大地の心=意地」で見つめてみましょう。

 

参考『大谷大学』HP、『耕雲寺』HP、『寳泉寺』HP、『暮らしの中の仏様の言葉』HPほか



本照寺住職 木村 映之 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461

○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院() 本照寺(ほんしょうじ)

※どなたでも参加できる行事… ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会、木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)

 ※新納骨堂…令和33月8日お参り開始。加入者募集中。

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