「・・・五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり」
誰もが知るこの歌詞には、ひな祭り定番の情景が描かれています。
もともと、ひな祭りで奏でられるのは雅楽(ががく)の調べでした。
雅楽は、朝鮮半島や中国大陸などアジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞が、日本古来の歌や舞に加わり融合し、
日本化した音楽芸術で、10世紀頃に大まかな形態が成立し、世界最古の大規模な合奏形態として、今日まで伝承されています。
この雅楽も仏教との関わりが深く、仏教も雅楽も、日本へはともに中国大陸および、朝鮮半島を経由して伝来しました。
そして、日本への伝来以前にすでに音楽が仏教儀式の場に欠かせないものとして存在していました。
それは、伝来してきた雅楽の楽曲名に「伽陵頻(かりょうびん)※1」や「菩薩(ぼさつ)※2」などがあることでよく理解できます。
また、日本伝来以降でも仏教儀式に雅楽が演奏されたという記録が残されています。
古くは奈良の「東大寺」で、大仏開眼(かいげん)法要において雅楽が奏されたと記録されています。
さらに、「清風、ときに発りて五つの音声を出だす。
微妙にして宮・商(きゅう・しょう)※3、自然にあひ和す」『仏説無量寿(むりょうじゅ)経』など、
お経に出てくる様々な表現を通して、その関係性を見ることができます。
また「栄華物語」や「源氏物語」の中には、雅楽の舞はまるで自分が仏さまの世界にいるかのように感じられ、
雅楽の音色は仏さまの声そのものであるかのように聞こえるなどという表現がなされています。
このように仏教における雅楽の演奏は、まさに仏さまの世界をこの世で再現するものであったと言えましょう。
ちなみに、五人囃子(ばやし)とは、能楽(のうがく)を演じる少年のことです。
しかし、そもそも雛飾りは天皇皇后の結婚式を模したもの。
本来官中(きゅうちゅう)行事において演奏されるのは雅楽であり、五人囃子による能楽が演じられることはありません。
しかし、江戸の武家社会において能楽が流行するなかで、五楽人(がくにん)ではなく五人囃子を取り入れた雛飾りが主流になったとされています。
現在でも、五人囃子の位置に五楽人の雛人形が並ぶ場合や、演奏者が2人多い「七楽人」を取り入れた雛飾りも存在します。
※1 極楽浄土にいる鳥の名前 ※2 仏の覚りを求める修行者 ※3 ともに東洋音楽の音階
参考 『ふらここcolumn』HP、五色株式会社HP、雅友会HPほか